おひとりさまの終活、具体的意義について考えてみましょう。絵に描いた餅では実際は役立たない。
死んで使い切れない財産を遺しますか。
認知症に寝たきりになりたくないと誰もが思います。
天皇陛下も昨年の誕生日の会見でおっしゃられていますが、ものわすれや認知症は年を重ねれば誰もがなります。
もしそういう状況になったとき困らないために事前に準備が必要です。 なぜなら、時既に遅く、あなたの望む生活支援は誰も出来ないからです。
死んだら死んだ人は直接の恩恵は何も無いです。立派な葬式や墓は遺された人にとって満足になるかもしれません。しかしおひとりさまが死んだ後、名誉や栄誉は入りますか。
生きている今を有意義に、今あるお金を有意義に使って、安心のある老後計画を作りましょう。
事故や重篤な疾病、認知症で自分の意思表示が出来なくなったとき最も困ることです。
延命治療について書面にして、万一の時自分の意思を表明できるシステムが任意後見制度で後見人の役割として依頼しておきます。
社会的弱者だから、何とかして欲しい、助けて欲しいとは微塵も思わない。しかし社会制度から取りこぼされていることばかりであることを認識していないと痛い目に遭う。社会的弱者だからこそ、同じ立場のおひとりさまが互いに手を携え生きやすい社会にしていきたいと思うが皆様は如何でしょうか。
日本は血縁社会です。制度上も意識の上でも血縁重視です。
孤族、孤立死、孤独死は家族のいる人達の上から目線で哀れみから発する言葉です。
一人一人が人格をもって尊重される社会にはほど遠い中で、おひとりさまの支援は将来にわたって必要とされる重要な支援です。それは私自身が生涯未婚、子供無しだから痛いほど身にしみて判ります。日本社会は全てが家族を一単位で考え社会の仕組みが作られてますので、おひとり様には不平等な社会です。血縁主義の社会にあって、おひとりさまが何かあった時安心して暮らすためには任意後見制度による終活支援が現状最も有効な手段です。
家族主義から個人尊重社会を創造しないとこれから益々増えるおひとりさまの最期は悲惨な状況です。 多くのおひとりさまが最期までを安心して第三者に頼めない理由は、もしかしたら欺されているのかもという言う不安が心を大きく支配しているからです。確かに昨年(2016年)にはおひとりさまの最期を支援する公益法人が破産して、多くの契約者の預託金が行方知れずになりました。預託金を安心して預けられるシステムは何か色々検討してますが、なかなか難しいのが現状です。病院、施設等ではご遺体は親族又は身許引受人(第三者の場合は公正証書による契約の存在)でないと引き渡されません。
元気で暮らしている今、判断や自分で行動が出来なくなったとき、看取り、死んだとき、葬儀、死後のことの支援です。
おひとり様には不平等な社会、家族主義から個人尊重社会を創造します。
託金を安心して預けられるシステムを提案中。
自分が大切に集めた品物が、ごみのように扱われることは、辛い。
だから、買い物をするとき必ず考えるのが、自分の死後、誰かが引き取って大切に使ってもらえない物は買わない。
プラごみは増やさな
周りにあるプラごみは使い切って消耗する。