おひとりさまにとってひとり暮らしはリスクが高く、万一の時、助けを求めても誰も気がつきません。苦しみもだえながら死ぬのも怖いです。何より死後誰にも気がつかれずに放置される孤独死が最大の心配で、この心配は私も同じです。俳優の平幹二朗氏の死去は人ごととではありません。
現在の高齢者施設はどうしてもプライバシーや自立した生活の維持が困難です。プライバシーが尊重されているが何かあったときはすぐに駆けつけてくれる、おひとりさま版やすらぎの郷「悠縁の杜 おひとりさまの家」計画の一日も早い実現する重要性をヒシヒシと感じてます。
転倒予防等の安全確保は第一ですが、大腿骨頸部骨折、重篤な疾患等で退院後の生活維持には、歩行器や車椅子で自由に行き来ができること。
門⇒玄関⇒あがりかまちまではスロープで一体化
車椅子で自由に方向転換できる構造のトイレは日本の個人住宅ではまだまだですが、トイレが他人の手を借りず、自分で利用できれば寝たきりも予防できます。トイレは人間の尊厳を守る最後の一線です。
風呂はデイサービス、入浴サービスの利用で乗り切れます。
でも夏場はシャワーが可能な手すりや作り付けの椅子があると良いですね。
玄関、廊下、階段の幅が狭い⇒自宅での葬儀、出棺ができない。
トイレやトイレのドアが狭いので、トイレ内に車椅子で入れない、入れても方向転換ができない。介助者の有無に関係なくトイレが使えないことで、生きる意欲を削ぎ、生活の質が落ちる。
最期まで暮らしたくなると同時に実現に向けて以下準備中です。
①玄関から居室までバリアフリー
②終の棲家からの旅立ち(出棺)
③その他
入浴中の体調不良になったらどうしよう?
インフルエンザ、高熱などで、寝込んだ時、洗濯や食事の支度を誰に頼もう?
室内で転倒等の事故にあったとき、救急車を呼べても、扉が開かなかったら心臓発作や脳梗塞は助からない。
認知症になったら、自分の生活はどうなるのか。
がんなどの重篤な病気になった時、援助者、支援者を誰にするのか。
誰にも看取られないで死ぬことをマスコミ始め世間では最大の悪のように言うが、人は死ぬ時は誰しも一人であって誰かを道連れにしねるわけではない。だから寂しいとも悲しいとも思わないが、何日もに渡って気がつかれないことで周囲に迷惑をかけることだけはしたくないと思っている。
おひとりさまが最後まで我が家で暮らしたいという要望を多く頂いてます。老人ホームや特養などの老人施設はできれば避けたい。でも安心がほしいという場合の受け皿が現状有りません。高齢者専用住宅もいろいろサービスはありますが、居室は壁で仕切られて孤立感が深まります。
プライバシーは守られているが、昔の長屋のようにお隣同士の行き来ができる、顔の見える関係を希望する方も多いです。
それらの方の要望に応えた住宅(アパート、シェアハウス、長屋等々)を検討してプロジェクトが動き始めました。
現在建築家に原案作成をお願いしています。