がん検診からがん診断までの顛末は他に譲り、5月7日のがん診断後、6月21日第1期抗がん剤治療が始まる。7月12日開始の第2期抗がん剤治療について綴る。

診断時かrがん完治とかがんからの生還なんてことは全く頭に無い。

がんと診断を受けた以上私に寄宿するがん細胞と生きていく、がんが私より強くなれば寄宿種の身体は滅ぶ。しかしそれではがんも共に滅びる。お互い共栄共存し、私の身体的痛みを付く無くしてくれることを願うだけだ。

抗がん剤治療は悪魔の囁きとの戦い

第1期の抗がん剤治療で判ったことは、体調が良いときはできるだけできることを翌日回しにしない。明日はどうなっているのか皆目不明。自分の身体に起きる様々な副作用は身体中からの悲鳴を受け止めることに終始するが、だから治療を止めたいとは全く思わないし、代替療法でがんを消したいとも思わない。ま代替療法の悲劇を目の当たりにしているからだ。

21日目 炎症復活?

退院時以降治まっていた喉の痛み口内炎が再発。明日の診察に一抹の不安有り。

20日目 骨折の恐怖 

右膝に強ばりと違和感、痛み有り。中腰から立ち上がれない、床の物を拾い上げるのも難儀だ。

訪問看護ステーションの高砂さんに寝具類を寄付。ぬいぐるみは神奈川小児医療センターに聴いて頂くことになった。死蔵から次の活躍の場を得られて、皆良かった。

 

19日目

何となくだるい。

18日目 喉の炎症が消失、スルスル食べられる。

抗がん剤を始めて39日で初めて喉のつっかえ感なく、水が飲め、食事が摂れる。こんな当たり前のことが出来なくなる抗がん剤副作用の炎症に直結できない思考力の低下も副作用か。

味蕾は相変わらず味が分からない状態。

抗がん剤副作用で入院5日目、赤血球、白血球等の値も普通に戻り退院。

17日目

入院生活も飽きたと、言えるのは幸せなことだ。

昨夜は隅田川の花火大会、スカイツリーを正面に花火は建物に隠れて、右側がちょこっと見えた。

我が家は高速道路が出来るまでは横浜港の開港記念や、アメリカの独立記念の花火が寝転がって見ていたので、混んだなかわざわざ見に行く気持ちにはなれないが、入院した部屋から見えたのはチョットしたハプニングで藤井聡太棋士ではないが望外の喜び。そう子供の頃は富士山も見えた。

16日目 築地食

院して出される食事が全て臭いで、食べられない。看護師から食事食べられましたかという問に臭いで手を付けてないことを伝えるも、他人事(ひとごと)のようにスルーされてきたが、今日の看護師は築地食に替えますかと・・・・え、それって何、と問うと、築地食は副作用向けの食事と言うこと。入院して3日も放置されていたことに愕然とする。今日の担当看護師は患者の訴えに真摯に向き合ってくれ感謝。入浴時の点滴のルートを水濡れから防御の処置も当たり前かもしれないが、パーフェクト。他の看護師はゴム手袋で処置して、水濡れで後日、その部分がかゆみで水ぶくれ状態の酷い結果を招いてしまった。

緩和ケア、今患者の痛みの解消という認識があるのか疑問を感じた。緩和ケアは終末期というのは医療者の中にも勘違いをしているのではないだろうか。

精神腫瘍科の医療者ががん診断で、不安で鬱状態になるという症例を挙げるが、実際のわたしはもっと現実的で、目の前の痛みを取り除いて欲しいそれだけが望み。

15日目 入院2日目

つくづく発熱という状況についての認識が如何に甘かったか。

日々37.6℃~37.9℃代、決して平熱ではない。38℃代が継続するのではなかったので、風邪で発熱という認識とは全く異なることに、思いが至らなかった。経験しないと判らないのも現実。

14日目 抗生剤剤が効かない

喉の痛みは相変わらず続き、抗生剤は昨日で飲みきって、1錠もない。対応について化学療法へ電話をすると、すぐ病院へと言われ慌てて築地に向かう。(良く考えれば炎症、即ち感染症にかかるリスクが高いので服薬対応から点滴になることに気がつかなかった。判断が甘かった)

13日目

昨日まで続いた右肩の痛みは軽減し動きも元に戻ってほっtしたのもつかの間、今度は歯茎が痛み出す。痛みをこらえるのに歯を噛みしめるので、噛みしめるのを緩める。

おそるおそるの飲食も普段通りに戻るが、夜右喉が痛み出し呑み込み辛い。炎症が原因だと抗生剤はもう終わり。あと8日持つと良いのだが。

38.3℃、解熱剤服用。抗生剤は今日で飲みきり。

12日目

カルピスを頂戴するが、ここ数十年飲んだことがなかったが、飲んでみると痛んだ味蕾にも優しい。

左の腕が肩鎖関節炎(六十肩)のような痛みで、全く動かない。

発熱38.3℃ 解熱剤服用。

11日目 アドレナリン過剰分泌で躁状態は副作用。

魔女と言われる私は鬱ではなく躁状態。昼夜逆転0時前後にのこのこと起き出して、あちらこちら片付けを始める。今日はチョットテンションが落ちているので15分動いて30分休憩。

しかしおひとりさま支援に整備した、エコーネスのストレスチェアがこんなに役立つなんて、考えもしなかった。この椅子に座るとウトウトする。

体温を測ると、ピコピコと画面は37.8℃、37.9℃。ついに38.1℃、解熱剤を服用。しかし風邪で38℃というと高熱で苦しいのに、副作用の熱は全く身体に何の支障を感じていない。(それは自覚症状の範疇で、実際は治療に当たる医師を始め周囲の医療者からも警告音は出っぱなし)昨日右膝上が打撲で赤紫に晴れている。皮下出血の具合からも皮膚も弱っているようだ。

 

10日目 政治家は誰もがん教育やがん拠点病院を取り上げない

投票に行く。

半分がん、即ち二人に一人はがん診断を受ける今、国の対策や支援は全くなっていない。年金暮らしで抗がん剤治療が始まったら、どうするのか。65歳以上は後期高齢者摘要で介護保険が使える。しかしそれより若い世代はどうなのだろう。実際毎日混んだ通勤電車で通うのは、大変でしょう。

相変わらず体調不良、右腕付け根が痛い。喉は相も変わらぬ、不味さ満開。

9日目 抗がん剤治療中に窒息死なんて笑い話にもならない

喉のつまり、息苦しさ、ヒリヒリ感、吐きけ、嘔吐止めを飲んでいいんだ、ということをすっかり忘れていた。食事は勿論、水も噛みしめながら飲む、これが習い性となるのは良いことだ。

久しぶりにウトウトする時間があった。

しかしエンゲル係数は上がりっぱなし。

8日目 刻々と変化する体調

昨日服用の抗生剤が効いて、喉の痛みは軽減。しかし嚥下障害、誤嚥性肺炎、最悪は窒息死という可能性もある。ひとり暮らしの怖さが身にしみる。飲んだり食べたりはゆっくり、ゆっくり。忘れていたが叔父はがんの再発で入院、あっけなく窒息死している。決して珍しことでは無い。

ずわい蟹のかに爪揚げ 甘酢添え、春巻きは美味しかった、担々麺は辛いばかりでした。昨日美味しかった物が今日美味しいとは限らない、不安定だ。雨が上がると共に蒸し暑くなり、エアコンの無い部屋は危険なので、エアコンのある部屋への移動準備をする。押し入れから今朝出した布団が山積みなので布団を片付けベットが来るまでの一時しのぎに布団を引く。除湿だけでも身体がホッとする。

下痢の影響が出始める。​1時間毎にトイレは皮膚へのダメージ解消が課題。しかし今はウォシュレットが重宝するがそれも限界に近づきつつある。

働かない、自宅で治療に専念できる人は、カツラを慌てて作る必要が無いことが判明。​でもわたしは毎週いたMのレッスンがあるのでやはり必要です。

7日目 相談電話をかけよう

今朝から喉の痛みに振り回される。痛みに耐えきれず通院加療中のがんセンターの外来化学療法ホットラインへ電話。喉の炎症、抗生剤服用指示。薬嫌いの私も宗旨替えで抗がん剤治療副作用処方薬は全て飲む。飲まないと辛いだけ、我慢は不要だ。

毎日深夜に起き出して片付け中。捨てるのは物の魂の悲鳴が聞こえるので、利用先にお福分け。父と母の看取りでお世話になった訪問看護ステーション、ケアマネジャーが取りに見える。高齢の女性が使ってくださるという。良かった。がんと判ったら思いっきりが良くなって、片付けが進む。母がタダでもらった訳では無いでしょう、一つ一つお財布から現金を出したんでしょと言われたことを思い出す。

抗生物質飲み始める。

6日目 抗がん剤副作用は我慢しない

喉が痛い。水や食事はできるが息苦しくつっかえ感が続く。商法された嗽薬でうがいをするも全く改善しない。他に処方されている薬で対応できる物が無い、全くお手上げ。喉頭がん、咽頭がんは、きっとこの数十倍の痛みなのだろう。と、推測する。

抗がん剤治療で学んだ最大は副作用の痛みは我慢しない、医療者に伝えることで抗がん剤治療や副作用への対応が一歩前進し、継ぎに続く人達へ明るい兆しになれると考える。

5日目

私の味蕾は壊れてしまったようだ。不味い、不味い、不味い。

4日目 皮膚への副作用始まる

第2回投与時に皮膚の乾燥も無いと伝えるとこれからですよと・・・。案の定、じんましんのようなかゆみに始まり、指先があかぎれの状態で、洗い物が辛い。え・・・ゴム手袋をすれば、なんだか食器をゴム手袋で洗うのは気が滅入る。爪と指が剥がれっぽくなってきている、ドラッグストアに水絆創膏を買いに行く。効果はありました。

3日目  転ばぬ先の杖

第1期抗がん剤治療では副作用が出るまで服薬は我慢をして、結果3日間も身動きできず、しんどかあった。3日目には嘔吐止めを飲んだらスッキリ、それなら我慢せずに飲めば良かったと学習。今回は痛みや不快感が出る半歩前に服用。今は食欲もりもりで抗がん剤で最も痩せた時より3キロ増。味覚、臭覚は改善無し。特に舌に感じる違和感、不味さ、塩辛さは何とも言えない。味付けは激辛カレーが今は一番美味しい。治療が始まる前にカレーペーストを作っておいたのが役立っている。

2日目 症状勘違い

完食、胸と腹部の違和感。吐き気を胃から胃液や食物が逆流してくることだと理解していたがこれは嘔吐だ、吐くことを嘔吐と取り違えていた。しかしこの胸のつかえや腹部の違和感も吐き気と理解して第1期の余り辛いときは、吐き気止めを飲み解消した。喉が痛い処方されたうがい薬でうがい。イソジンは強すぎるとのことで使用を止める。

今日も朝からむかむかするので、今回の処方薬をまず服用する。(そういえば前回も2日目までは元気いっぱいでしたが、日曜は打って変わってのたうち回っていました。19時からのピアノの森を必死にベットに腰掛けて視聴。ショパンの憂う気持ちが、曲に乗って伝わってきました)

眠れないので記録を付ける。

今日の服薬と食事 水分(水2ℓ)

イメンドカプセル朝、デカドロン朝夕、各1錠 マグミット朝2錠 

アルブラゾラム0.5錠(胸のつかえ出現、21時服用、前回は服薬対応をしなかったため一晩そして翌日一日苦しんだので予防する。) 

  • 朝食 お赤飯半合、アメーラトマト2個
  • 昼食 カレー(白米100㌘)、卵焼き1.5切れ、エクレア1個、トマトボーテ1缶
  • おやつ(間食) 2枚入りおせんべい2袋 甘い物より煎餅おかきが何よりのご馳走。棒アイス1本
1日目 羅生門

羅生門の餓鬼状態

  • 朝食 もずくスープ 小さなおいなりさん3個(昨日はもっと美味だったが・・・)
  • 昼食 おにぎり2個
  • 夕食 おにぎり1個 小稲荷4個 シュークリーム1個

診断前の私は殆ど塩分つまりゆでる以外塩味は付けない。高血圧の家系でもあるので、塩分取り過ぎには結構神経をとがらしていた。しかし、脱水症予防には塩と水が必要、殆どの人は健康補水液等を飲用するが、私はこの臭いを全く受け付けない。

兎にも角にも、明日のことは全く予想がつかないから今日食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲む。飲むと言えば酒類は待った受け付けない。第1期20日にビールのプルトップを開けたが、一口飲んだもう結構でした。ということで、全く酒類は飲めない状況です。無理して美味しくも無いビールは飲む必要なし。