孤族、孤立死、孤独死は家族のいる人達の上から目線で哀れみから発する言葉です。
一人一人の人格が尊重される社会にはほど遠い中で、おひとりさまの支援は将来にわたって必要とされる重要な支援です。それは私自身が生涯未婚、子供無しだから痛いほど身にしみて判ります。
終活準備を始めた方、まだ始められない方、あなたが納得のいく日々を送るための支援を行ってます。
もしおひとりさまが事故や病気で自分の意思を表示できなくなったとき、過剰な医療は望まないにも関わらず意思が確認できないと、胃婁や延命治療が行われます。家族の一員であれば家族が決定権を持ちます。しかしおひとりさまはあなたの決定権を代理人が代行します。
認知症で手助けがあれば住み慣れた我が家で暮らせすことを希望すればそれも可能です。しかし代理人がいなければ行政が代理人となって施設に収容されることもあります。
おひとりさまだからこそ自身の代理人となるべき人を決めましょう。それは任意後見制度を利用して行います。
最期まで好きな物を食べ、心地よい生活をするため、おひとりさまが意思表示をできないとき、おひとりさまの意思を尊重し、代わって意思表示ができる代理人を公正証書で事前に指名しておけば在宅医療、終末期医療、訪問看護、訪問介護等をはじめ生活のすべてにおひとりさまのあなたの意思を尊重した支援が受けられます。
おひとりさまの日々の暮らし、死んだとき、死後のことを支援します。
おひとりさまに関する言葉:
孤族 単身者 孤立死 孤独死 おひとりさま 無縁社会
今も昔も、日本社会は血縁主義で、血縁が最も重要視され次に地縁、職縁と続きます。LGBTへの理解も社会の仕組みには全くないです。S嬢の言葉を借りれば「結婚しない、子供を産まないおひとりさまは社会に全く貢献していない、存在すら無意味」となるのでしょう。
ひとりひとりの人権、権利を尊重しない社会は、民主主義とは言えない。
しかし私は、この国、議員、官僚に何も望まない、今有る社会の仕組み、福祉は利用し、不足する支援は、おひとりさま自らが作り上げていけば良いのだ。自分たちのことは自分たちで知恵を集め協力していこうではないか。
死んだ後のことをと考えたことはありませんか。
母が亡くなった翌日の朝、入浴中にふと思いました。もしこのまま風呂で死んだら何日も発見してもらえないまま朽ち果てるのかと。それは迷惑をかけるからイヤだなとも。
無縁社会が2,010年流行語大賞に、その後孤独死、孤立死が話題になってます。しかしこれは血縁社会に座位する人からおひとりさまを見下した言葉に響きます。
だから多くのおひとりさまは孤独死孤立死したくないと言います。
おひとりさまは急に体調を崩した時、救急車を呼んだり、身の回りの世話をしてくれる人がいません、その時はその時でどうにかなるさと思うか、自分が困らないために準備をするか、あなたはどちらを選びますか。
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