乳がんになった私

写真の代わりにイラストにしました。

祖父、父方の男性兄弟、大叔母や大叔父など多くの親族ががんで亡くなるがん家系の一族です。

小学生高学年の頃、近くにあった横浜市大病院にお見舞いに行ったときが原風景です。

阿鼻叫喚といって良いほど、病室内は混沌としていました。

いつか将来私ががんになったら、あのように痛みに苦しみ、のたうち回るのかと思うと、ショックで失神しそうでした。

今、乳がんになって医学の進歩に唯々驚くばかりです。

抗がん剤初期の米国映画で便器を抱えて苦しむ姿にもショックを受け、ひたすらひたすらがんにならないことを願う10代でした。

20代で千葉敦子さんを知って、ガンでも自分らしく生きることは出来ると確信しました。

がんに絶対ならない、それは誰も確実に約束できません。

しかし早期発見は大きな幸運を運んできます。

第一に手術する部分が小さくて済む、上手くいけば切らない治療が可能になる。

抗がん剤治療の後遺症は大変軽くすむ人と、私のように抗がん剤治療中疲労骨折を2カ所も起こし、激痛で眠れない日々が数年続く場合もあります。

早期発見で抗がん剤の副作用から逃れられるのは、最大の幸運です。

正しい検査を受け、早期発見、最先端治療(高度医療とは少し違います追々触れていきます)を受けられる医療機関にかかる。

簡単なことのようで判断に迷います。

このホームページはがんの早期発見で、がんで命を落とさないこと。

がんでも自分らしく生きることについて綴ります、少しでもがんの不安にある人、治療中の力になることを願ってます。

 

 

 1999年葬送博物館を始めた時、身寄りの無い方の葬儀の相談や家の墓に入りたくないという相談が多く寄せられて、暗中模索で要望に応えてきました。その頃は第三者がご遺体を引き取ったり、死亡届を出すのには、数々の困難なことにぶつかりました。

 任意後見制度は2000年より始まりました。が、制度に対する理解は行政の窓口では全く埒が明かず、司法書士等の専門家以外は全くない状況でした。それでも制度が始まってからは、少しの進歩がありました。

 本人の意思や意向を第三者が成り代わってすることなど、家族社会で生きる多くの日本国民には理解できないことでした。そうです、日本は血縁社会でがんじがらめの社会です。(任意後見制度導入後は代理権の付与で可能になりました)。特に尊厳死は公正証書で意思が表明されないと、家族でない第三者が本人の意思を表明しても安楽死をの心配から医師からは拒否されます。)

 それでも、現在も思いもよらない、新たな問題が出てきては解決する毎日です。

おひとりさまが安心して暮らせる社会は、男も女も性同一性障害者も、高齢者も若者も子供も、誰もが住みやすい社会なはずです。

 

 

 誰も一人で生まれて一人で死にますが、誰かの手を借りなくては生まれることも死ぬことも出来ません。

私は母と二人で暮らしてました。2年前の秋、母が亡くなった翌朝、入浴中にふとこのまま心筋梗塞を起こして死んだら、誰にも気づかれない現実がぐっと迫ってきました。私も今日からは孤立死、孤独死の可能性のある独居老人の仲間入りをしたことを実感しました。

 母は始末の良い人で、父が亡くなる直前に父の物を処分しました。本人に聴くと死んだ後捨てるのは忍びないと言っていました。母は洋服類は季節ごとに処分して、残ったのは日常の衣服、和服、写真、飾り物です。

元々自分の写真は撮らない、集合写真等には写らないようにしています。30才の頃写真の総てをシュレッダーにかけて処分しました。今は両親の残した写真の整理に追われてます。

自分の物と母の物で今残っているのは和服ですが、いずれ屏風にして日々使いたいと思ってます。

おひとりさまが第一に始める老前整理に写真の処分があります。30年ほど前に写真を処分し、それ以来現在まで、写真は撮らない主義を通してます。死んだ後、写真の整理は遺された人にとって、辛かったり、面倒だったりとやっかいな問題ばかりがあります。

 

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