周術期乳がんタキサン療法 バクリタキセル集回投与療法

第7日 特段の問題もなく過ごせた7日間

食欲回復、浮腫少々、口内炎は相変わらず、味覚異常も変化無く、塩辛さは相変わらず、口腔内の乾燥は一段と進み、水分ばかりを求めていた。

発熱、嘔吐、吐き気、下痢、便秘全く無し

今回は食欲の秋の言葉通り、食欲が出て元気一杯の日々です。

第6日 食欲の秋

食欲の秋ですね。目に入る物見る物見る物、食べたいと思います。が、実際味覚障害で美味しく感じなかったり、全く受け付けない物もあるので、慎重に少量ずつ購入。

第5日 美味しい玉露を賞味する。

お土産に八女茶を頂く。15週ぶりにお土産に頂いた玉露を入れる。化学療法前の味わいはないが、それでも充分美味しく頂けた。

北海道の物産展で北菓楼のシュークリーム夢不思議を購入、皮がさくさくしていて美味しかったです。

第4日 友遠方より来たる。

全くおかずらしい物がない週末だったせいか、今日はやけに食が進む。

遠方より見えた知人と中華の昼食、別腹でケーキを頂く。

第3日 のんびりな一日

ごろごろと、片付けを交互の相変わらずの毎日。

パッキングつめは昔から得意なので大型の荷物を4つ作る。不要になった金属類を使って作品制作の作家と、知人のバザーに不要品を送る。

 第2日 抗がん剤治療の進歩

山口育子著「賢い患者」

在標準治療と言われている化学療法・抗がん剤治療は1990年代臨床的に使用されるようになりました。当初は吐き気や嘔吐が厳しく入院で行われていました。30数年前から比べると現在の化学療法は通院で行われている。

私は味覚障害(異常)に悩まされ続けている。今はAC療法が終わりタキサン療法折り返し点にさしかかり、副作用は随分軽減されている。初期の化学療法の副作用を考えると恵まれていると思う。

初期の抗がん剤治療については右に紹介した賢い患者(山口育子著)に「ささえあい医療人権センターCOML」の前代表辻本好子さんと現理事長著者の抗がん剤治療に詳しい。

 

第1日 納得のいく医療

抗がん剤治療を止めたいという高齢患者の思いをくむ医療者が増えることは望ましい。年齢、がんの状況によって判断は様々だが、患者の思いや考えを丁寧に聴いてくれる医療者との出会いが、納得のいく医療に繋がる。このボタンの掛け違いが悲劇を生む。

 

読売新聞連載医療ルネッサンス10月4日掲載記事 

岡山市の薬剤師、池上園子さん(86)は、8年前、乳がんの抗がん剤治療をやめた。副作用で「どんどん小さくなっていく暮らし」よりも、「私らしく生きること」を選んだ。

 左の乳がんの摘出手術を受けたのは、77歳の時。高齢者の乳がんは、体力や治療の耐性、生活状況の個人差が大きい。確立された標準治療はなかった。

 手術後は、放射線治療を受けた。1年後にがんが頭の骨と背中の骨に転移したことが分かり、1日2回の抗がん剤の服用が始まった。2年間の予定だった。

 服用開始から4か月が過ぎ、池上さんは、残る人生の日々に思いをはせた。

 朝、起きられず、寝室の布団に横たわっている時間が増えている。吐き気で食事がとれない。ほおがこけた素顔を鏡で見るのがつらい。あんなに好きだったおしゃれもデパートでの買い物も、友人との外食も生活から消えてしまった。

 まるで「病気に人生を支配されている」ようだ。

 この苦しみを乗り越えた先に手にするものは何だろう。それまでに失うものは何なのだろう。薬局経営が忙しかった55歳の時、心臓の病気で死にかけた経験がある。「おまけにもらった人生」が、これでいいのか。「私らしく生きる」とは、自分の中に残る「健康」を大切にして、今を生きることではないか……。

 何度考えても、求める暮らしの価値は、治療をやめる恐怖に優先した。

 池上さんは、意を決して担当医を訪ねた。「抗がん剤、やめたいです」。そう切り出すと、息子と同年代の医師は「家族と決めたの?」と、尋ねた。池上さんが首を振ると、「う~ん」とうなった。とっさに言葉が出た。「私、おいしいものを思いっ切りおいしく味わいたい」。おいしく食べることは「生きる」ことだ。